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川原裕也(@yuya_q)のブログ

2014年11月28日

私の好きな言葉「百戦錬磨」、嫌いな言葉「村社会」

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今日は、私の好きな言葉と嫌いな言葉について。

好きな言葉は「百戦錬磨」
嫌いな言葉は「村社会」

いずれも、私の考え方、生き方に大きな影響を与えている言葉です。

好きな言葉「百戦錬磨」

百戦錬磨(ひゃくせんれんま)
たびたびの戦いで鍛えられていること。また、経験が豊かで処理能力にすぐれていること。
参照:goo辞書

私がこの言葉で大切だと思える部分は、「実践経験こそ重要である」ということと、「数はいずれ質に変わる」ということです。

なぜ私が「百戦錬磨」という言葉が好きになったかというと、以前の私は百戦錬磨とは真逆の存在だったからです。

これはたかぽんさんのつぶやき。

たかぽんさんのこのつぶやきを見て、私はこうつぶやきました。

とまぁ、上から目線で語っちゃってます^^;
しかし、これは10年前にバンド活動をしていた自分自身に言い聞かせているつもりで書きました。

考えるだけで満足していないか

当時、私はバンドでデビューすることを夢見ていました。
そこで、バンドメンバーを見つけるために様々な人と会い、そこで音楽性を語り合い、スタジオで練習し曲作りをしました。しかし、現実には1曲すら完成しないままバンドが解散してしまうことが多々ありました。(バンド活動ってホントこういうのがめちゃめちゃ多いです)

夢と音楽性を語らい合うだけで満足してしまう、スタジオ練習をするだけで満足してしまう。いつまでたっても曲作りは前に進まない。

これは、様々なことに当てはまります。

  • 議論だけを何度も重ねて一向に会議が前に進まない
  • 資料や情報をいくら集めても結論が出ない
  • ビジネスアイデアだけを考えていつまでも起業しない

どれもあるあるですよね。
考えただけで満足し、やった気になる。やった気になっているだけで、何もやってないのです。

もし自分が超一流のアーティストなら、1年ずっと苦悩を続けて、満を持して1つの名曲を完成させることも絵になるでしょう。しかし、悩むだけで何一つアウトプットできないアマチュアミュージシャンは、ただ行動に移せないだけの人であり、超一流アーティストの姿を自分に投影して、「悩んでる俺ってカッコいい」と自分に酔っているだけです。

煙立つところに火は燃える

例えば、演奏も下手くそで、曲のアレンジも甘い、どう考えても売れなさそうなバンドがいたとします。しかし、そのバンドは毎日、曲作りとライブを続けました。1年で365曲を作り、365回のライブを行いました。

年間365回もライブをしていると、どれだけ下手くそでも演奏は上達します。また、ライブを見た人が自分たちの演奏をレビューしてくれるので、その人達の期待に答えるためにも、積極的に演奏技術の改善が行われます。

また、365回のライブを行うことで、自然と世間への露出も増えます。たまたまライブ会場に足を運んだ著名プロデューサーが、彼らの一生懸命さに惚れ込み、アレンジを申し出てくれました。一生懸命に行動している人には、必ず助っ人が現れるものです。

このバンドは、「まず行動」を選んだことで次のステップへに繋がり、その次のステップがさらにその次のステップへと繋がります。そしていつの間にか「演奏もアレンジも下手くそ」だった昔の面影が嘘だったかのような、圧倒的なまでの高みに登りつめ、文字通り「百戦錬磨」のバンドへと昇華していくのです。

以前、「人間の認識は変わるし、変えられると思いたい。器の大きい人間になるには?」という記事に書きましたが、「演奏も下手くそで、曲のアレンジも甘い、どう考えても売れなさそうなバンド」というのは現在の認識であり、それは彼らの未来を決定付けるものではありません。

一方、演奏が上手で曲のアレンジに何度もこだわりながらも、1年で1曲も完成できなかったバンドがいるとします。このバンドは1曲も作っていないので、当然、1回もライブをせずに1年が終わりました。何一つアウトプットできなかったバンドは、どれだけ演奏技術に優れ、曲のアレンジを重ねようとも、世間には存在すらしていません。

煙なき場所に火は立たないのです。

それどころか、「行動や実績を伴わない、一流気取りの悩める三流アーティスト」は、時間の経過とともにプライドだけが巨大化していきます。
そして、こういう人に限って「あのバンドは下手くそで曲もイケてない」などと言って、ウンチクを垂れて他のバンドを否定をします。頭ではたくさん曲を作ってライブをしているバンドが羨ましいのに、それを認めたがらない。認めることは自己を否定することに繋がるので、巨大化したプライドが邪魔をして、認めることができないのです。

どちらがカッコいいバンドだと言えるでしょうか?
昔の私は後者そのものでした。だからこそ、行動の大切さと実践による成長の大切さを示す、「百戦錬磨」という言葉が、今の自分にとって大切な言葉となっているのです。

嫌いな言葉「村社会」

村

話は変わって、嫌いな言葉。
私の嫌いな言葉は「村社会」です。

村社会
長による支配、ボスと子分の上下関係が厳然と存在する。
所属する「村」の掟や価値観、しきたりが絶対であり、少数派や多様性の存在自体を認めない。
排他主義に基づく仲間意識が存在する。
自分逹の理解できない『他所者』の存在を許さない。
同郷者に対しては「自分達と同じで当たり前」という意識を抱いており、自我の存在を認めない。
弱いと規定したものに対しては、陰湿且つ徹底的に圧迫を加える。
有形物のみならず時間や空間に対する共有意識も強く、プライベートやプライバシーといった概念が無い。
参照:wikipedia

私はコミュニティというものが苦手です。
フラットな関係のコミュニティであれば良いのですが、本当にフラットなコミュニティを作るのは、凄く難しいことだと感じています。

例えば、仲の良い5人組の友達グループ。
その中には必ずリーダー的存在の人がいます。また、地位の低い人(いじられキャラとか)が存在します。地位の低い人の意見は絶対に聞き入れられないし、逆にリーダーの意見には皆が同調します。職場やプライベートで誰もが経験したことのある、よくある光景です。

私はこの、「どう頑張っても覆せない強者と弱者の構図」が嫌いです。

上下関係が嫌なわけではありません。誰かが言っていましたが「偉いから上にいると思われたらアウト。凄いから上にいると思われなきゃいけない。」という言葉に同意します。

実績などの能力によって正当に評価された上下関係であれば、皆が納得し、また皆にチャンスが与えられていますが、「村社会」にはそれがありません。皆がその上下関係に納得しておらず、それを覆すためにどれだけ努力しても、負け組は負け組のままであり、そのコミュニティから去るか、長いものに巻かれる以外の選択肢がありません

また、村社会(小さなコミュニティ)は視野を狭めます。
一つのコミュニティに依存すると、そのコミュニティ内での情報が、重要かつすべてとなり、そのうち自分の頭で考えることなく、そこに同調するのが自然なことだと思えてきます。これは一種の宗教と同じ。

井の中の蛙という言葉がありますが、小さなコミュニティに属し、そこが生活のすべてになっていると、自身の価値観は狭まり、自分の中のスタンダード(標準)も下がります。

私がネットにハマった理由

私がインターネットにのめり込んだ理由はおそらく、「そこには圧倒的に大きく、フラットなコミュニティがあったから」だと思います。

インターネットの世界では、北海道から沖縄まで、全国の人が同じテーブルで話をしています。私がニートをしていた時は、私より酷い50代のニートを2ちゃんねるで見て「下には下がいるもんだ、俺はまだまだ余裕だな」と思いながら、トコトン堕落していきました。逆に今は、Twitterで頑張っている経営者たちを見て「上には上がいるもんだ、自分もまだまだ」と思いながら日々頑張っています。

インターネット特有の巨大なコミュニティでは、自分がどういう人間になっても、必ず類友は見つかるし、自分がどれだけオタクになっても、必ず自分と同じレベルで議論できる人が見つかります。

私はそこで、様々な価値観を持った人がいること、そして上を見たらキリがないし、下を見てもキリがないことを知りました。

また、当時わたしが大好きだった匿名掲示板2ちゃんねるでは、常にフラットな環境、フラットな関係性が構築され、掲示板で発言されたテキストのみが評価対象となって議論が進んでいました。

2ちゃんねるの常連ユーザーも、はじめてアクセスしてきた人も、社会的地位も経済格差も関係なく、ただアウトプットされたテキストのみが評価される世界。その発言が素晴らしいものなら、誰であろうと称賛されるし、その発言がつまらなければ誰であろうと叩かれるのが2ちゃんねるです。

このようなフラットな世界が、村社会のコミュニティを苦手としていた私にとって、非常に居心地が良かったのだと思います。また、インターネットのフラットなコミュニティにはメリットがある一方で、問題点もあると思いますが、それはまたの機会に。

さいごに

私は元々コミュニケーション能力が高い方ではないので、これまでの人生において、自分が弱者の立場となることが多かったです。だからといって「どう頑張っても覆せない強者と弱者の構図」が存在する、村社会的なコミュニティに順応したくないという気持ちもあります。

そのような私の性格は、敵を作ってしまうこともあります。逆に、自分の意見を言わずに、リーダー的存在の人に同調し、長いものに巻かれるけど、敵を作らずみんなから好かれている人を見て、羨ましく思うこともありました。

完全に私の性格によるものなのですが、これが私が「村社会」という言葉が嫌いな理由です。同じような意見を持っている方、少なからずいると思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました

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